主催は、日本の “ユニバーススター”(現・吉田統合研究所)と、ボヤルカ地方政府議会、市民、学校だった。チェルノブイリからの疎開者数千人。少年軍人の学校があるボヤルカ。
この日、軍の士官候補生たちも、戦わず、平和を求めていた。
吉田一敏は、ウクライナ人と共に、ウクライナ国歌を歌っていた。そして次に全ての人が、日本の国歌を聞いていた。
“世界人類が平和でありますように”という言葉。これは世界に存在する国の数だけ繰り返されたが、人類の願い、共通の感覚。たった一カ国も見落とされる事は無かった。全ての人が平和に生きるに値していた。
吉田一敏は、コンサート後に子供たちのところへ飛んで行き、彼らと話し始め、感動をシェア―して、笑いあった。違う国に住んでいることなど、まったく問題では無かった。彼らは、共通するものをたくさん持ち、同じことを求めていた。地上の平和である。
一敏は、故郷にいるかの様にくつろいでいる、と言った。彼はかつて教師であり、子供たちはそれを察して、非常に彼が好きになった。
彼は、ウクライナの子供たちを“チェルノブイリに降りた天使たち”と呼んでいたが、それは20年前に初めてウクライナに来て以来ずっとだったのだ。彼は、何度も何度も戻ってきては、平和を推し進め、平和に働く人々を一つに繋げたのである。彼は、けっして諦めることがなかった!
*世界200カ国の平和の祈りの最中。信じられないほどの気高く崇高な感覚の中にいた。生まれて初めての感覚だった。(現地ボヤルカ市長)
https://www.youtube.com/watch?v=7G8BydUQtXA&t=184s